キハ58 243



1962年12月5日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で名古屋第一機関区へ配置された。同一ロット242・243全車が名古屋へ配置された。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。名古屋では比較的長く活躍し、1970年代前半には冷房化された。その後は隣の美濃太田との間で運用移管や需給の関係で転属が度々行われ、1972年度中に美濃太田へ転出し、1975年5月26日には名古屋へ戻り、1978年10月2日には再び美濃太田へ転出した。引き続き名古屋を起点とする急行で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」では第三セクター移管の決まっていた越美南線の関係で七尾との間で車両交換が行われ、当車は1986年11月に七尾へ転出した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は七尾配置で急行「能登路」や七尾線・能登線の普通列車で活躍したが、1988年に能登線が廃止された関係で余剰となり、山陰本線京都口の50系客車列車の気動車化のため1988年9月10日付で福知山へ転出した。福知山では山陰本線の他、舞鶴線・宮津線等で使用されたが、1990年には山陰本線園部電化及び宮津線の廃止により捻出され、当車は活用されることなく1990年3月31日付で廃車となった。

外観は、名古屋地区の形態を色濃く残している。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパー原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状のままである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に台座付きで設置されている。
側面はほぼ原形であるが、乗降ドア隅の丸穴が板で塞がれていることと、乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっているのが、名古屋の特徴である。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器はほぼ原形である。


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