キハ58 245




国鉄〜JRでは珍しい車籍復活車両。

1962年12月13日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で大分機関区へ配置された。同一ロット244〜247全車が大分へ配置され、主に九州横断の急行列車に使用された。当車は生誕から現在まで九州のみに配置された。九州では比較的遅い1971年度に冷房化改造されたものと思われる。引き続き急行「火の山」「由布」「西九州」等の横断急行で使用されたが、国鉄末期の短編成化により余剰となり、1987年3月30日付で一旦廃車となった。JR化後は運転本数の増加、客車列車の置き換え等で気動車の需要は高く、1988年5月25日付で復籍し鹿児島運転所に配置された。この復籍整備の際に九州色へ変更された。その後は1990年3月10日付で竹下へ、1991年3月16日付で大分へ短期間で移動した。最後は生まれ故郷の大分で長く活躍したが、1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入され、その関係でキハ40系が鹿児島へ転出し、玉突きで状態の良いキハ58系が鹿児島から大分へ転入し、当車は入れ替わりで余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。また、竹下・大分時代の特徴で「タウンシャトル」の逆台形状のヘッドマーク受けが取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型である。
床下では、前位側助手席側のみスカートの取り付けが行われている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る