キハ58 248




1962年12月24日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟運転所へ配置された。同一ロット248〜251のうち、当車のみが新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、長大編成対応の400番台投入により早々に新潟を去り、1965年9月30日付で福知山機関区へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」等で活躍した。福知山では比較的早期の1970年7月に冷房化され、その後も当地区で長く使用された。1972年度には福知山区の急行型配置が増えたため一部を豊岡へ移管することになり、同年度中に豊岡へ転出した。当地区では1985年の紀勢本線急行「きのくに」格上げによる和歌山からの大量転入や、1986年11月の福知山線電化による急行「丹波」廃止により、国鉄末期に大幅な車両の交代及び余剰が発生したが、当車は運良く生き残り、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「丹後」「但馬」で活躍した。1990年には運用移管で再び福知山へ移動した。1992年より指定席車のアコモ改造が始まり、多くの平窓車は種車に抜擢され7200番台に改造されたが、当車は原型のまま残り、当地区で唯一の0番代となった。1996年3月の山陰本線電化により急行「丹後」は全廃され、1996年3月31日付で廃車となった。

前面は、豊岡由来の後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはスリット式カバーで落成しているが、新潟時代にシャッター式に改造されている。テールライトは、外ばめ式に改造されている。
側面はおおむね原型である。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で、特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原型である。


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