キハ58 251



1962年12月24日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有で高松機関区へ配置された。同一ロット248〜251では当車のみが高松へ配置された。高松では次ロットの252〜255と共に四国全域の急行列車で使用開始した。比較的初期の1969年には冷房化され、引き続き長きに渡り四国で急行列車に使用された。「55−10改正」で四国内急行編成が見直され余剰となり、当車は徳島の若番車を置き換えることとなり、1980年10月3日付で徳島へ転出した。徳島では急行「阿波」「むろと」「よしの川」等徳島をベースに使用された。そしてそのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年12月10日付で四国色へ変更され、1990年代に入り高徳線の急行が特急へ格上げされた際にはキハ20系や50系客車に代わり普通列車用となり、1990年12月6日付で近郊化改造された。しかし徳島にはワンマン運転対応の1000系が大量投入され始め当車は余剰となり、1993年3月31日付で廃車となった。

前面は、多度津工場で四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上にある。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。
屋根上は、近郊化改造後に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
床下では、後位側に循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。そのためトイレ流し管も付いていない。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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