キハ58 256



1963年1月16日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟機関区へ配置された。同一ロット256〜258のうち、256・257が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等幹線急行で活躍したが、1971年には急行「いいで」の運用の一部が水戸へ移管され、1971年4月30日付で水戸へ転出した。水戸では急行「いいで」「いなわしろ」「いわき」の磐越東・西線の急行をはじめ急行「奥久慈・ときわ」で使用された。水戸でも長く活躍したが非冷房のままであった。「55-10改正」では四国内の急行減車により四国から水戸へ冷房車が転入し、非冷房の当車は玉突きで1980年10月12日付で人吉へ転属した。人吉では老朽化したキハ55に代わり、主に肥薩線矢岳越えの普通列車で使用された。しかし「59-2改正」で急行の減車が行われると状態の良い冷房キハ58が普通列車にも充当されるようになり、非冷房車は余剰となる。当車はその後も活用されることとなり、1984年度上期に松山へ転属した。松山では従来のキハ55を置き換え、予讃本線松山以西の勾配区間の普通列車で使用された。しかし「60-3改正」で状態の良い非冷房車が高松から転入すると玉突きで余剰となり、1985年6月29日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、非冷房車ながら冷房車に準じタイフォン下で左右離れた位置へ移設されており、これは人吉での施工である。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横にステップ一体型で設置されている。タイフォンカバーはスリット式のままである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形であるが、水戸時代に運転席側窓バランサー点検蓋が設置されており、小ぶりな鉄板がビス止めされている。
屋根上はほぼ原形である。
床下も、ほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る