キハ58 258



1963年1月16日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有債で青森運転所へ配置された。同一ロット256〜258のうち、当車のみ青森へ配置されている。青森では東北北部の幹線急行で活躍したが、「43-10改正」時の車両転配で盛岡へ移動し、主に東北本線の幹線急行や支線急行で活躍するようになった。盛岡時代は長く続き、「57-11改正」で急行が大幅削減された後も山田線・釜石線・花輪線等で主に普通列車で使用された。「61‐3改正」では花輪線運用の一部が弘前へ移管され、当車は1986年3月11日付で弘前へ転出、そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き弘前で五能線・花輪線を中心に活躍したが、五能線の一部ワンマン運転開始を受け1989年6月28日付で秋田へ転出した。秋田では引き続き奥羽本線、男鹿線、田沢湖線等で普通列車で使用されたが、1990年以降のキハ110系投入による車両転配を受けて余剰となり、1993年6月1日付で廃車となった。

前面は、東北地区では珍しく前面補強された形跡が無い。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は両側とも残存している。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下もほぼ原形で、単線用スノープロウを付けている。


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