キハ58 260



1963年1月24日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟運転所へ配置された。同一ロット259〜261全車が新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」「越後」「いいで」等幹線急行で活躍した。1971年には急行「いいで」の運用の一部が水戸へ移管され、1971年4月30日付で水戸へ転出した。水戸では急行「いいで」「いなわしろ」「いわき」の磐越東・西線の急行をはじめ急行「奥久慈・ときわ」で使用された。1970年中盤には水戸で冷房化された。国鉄末期の「55-10改正」「57-11改正」で磐越東線・西線の急行運用から水戸区は順次撤退したが、当車は引き続き水郡線で使用され、「60-3改正」で水戸の急行運用全廃後は主に水郡線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後は引き続き水郡線で使用されたが、1992年3月よりキハ110系が水郡線に投入されることになり、当車は冷房車であることから活用されることになり、1992年3月14日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」の冷房化に貢献した。また転属に先立ち、1990年12月にエンジンがコマツ製DMF11HZへ換装された。以後快速運用を中心に活躍したが、1995年3月より左沢線にキハ101が投入された玉突きでキハ40が小牛田へ転入し、当車は当時小牛田で最若番であったことから余剰となり、1995年11月1日付で廃車となった。なお当車は廃車まで水郡線色のままであった。

前面は、前面補強が未施工である。ワイパーも原型のWP35のままであり、すっきりした顔立ちである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの左右に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設けられている。テールライトは左右両側とも外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは新潟時代にシャッター付きに改造されている。正面窓上の水切り・通風口は原型のままである。運転席側にデフロスタがあるが、取付台座が水戸地区特有のものとなっている。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外はほぼ原型である。
屋根上は水戸配置車ながらクーラー配置が常磐無線対応ではないが、小型の常磐無線アンテナが取り付けられた変形車であった。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。また、新潟時代から複線型スノープロウを取り付けている。


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