キハ58 261



1963年1月24日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟運転所へ配置された。同一ロット259〜261全車が新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」「越後」「いいで」等幹線急行で活躍した。1970年には北陸本線急行の移管が行われ当車は1970年3月1日付で金沢へ移動した。金沢転出後は急行「ゆのくに」「大社」等で使用された。幹線急行に使用されることから1973年頃には冷房化された。「53-10改正」で急行「ゆのくに・越後」が廃止されると当車は冷房率の悪い七尾線急行の改善に回り、1978年10月2日付で七尾へ転出し、急行「能登路」で使用された。その後「55-10改正」では徳島から七尾へキハ58系冷房車の追加投入が行われ、当車は玉突きで敦賀担当の急行「わかさ」「はしだて」の冷房化に回ることとなり、1980年10月21日付で敦賀へ転出した。敦賀では前述の急行の他、小浜線・北陸本線・湖西線の普通列車でも使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」で北陸本線・湖西線のデッドセクションを通過する普通列車の電車化が進むこととなり余剰となり、金沢局内では比較的車齢が若いながらJRへ継承されず1987年1月14日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に松任工場で前面補強されているが、補強板の境界線が滑らかに仕上げられており目立たない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されているのは、金沢地区の標準形態である。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット状カバーのままである。制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に台座付きで設置されている。
側面は、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板がボルト止めされている。また乗降ドア下部隅に、5次車以降に準じ丸窓が追設されている。
屋根上は、通風器の配置・形状は標準冷房車の形態である。水タンクは初期の金沢地区標準の、平らな形状のものに更新されている。
床下は概ね原形である。


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