キハ58 263




1963年1月30日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有で新潟機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット262〜264全車が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等で運用されたが、1963年下旬には長大編成用400番台が投入され、当車は兄弟の264と共に1963年10月頃に九州は大分へ転出した。大分では豊肥本線・久大本線系統の横断急行で主に使用されるようになった。大分担当急行は勾配路線が多く冷房化が遅れたが、キハ65の投入を待って1971年度に冷房化された。その後も引き続き急行「由布」「火の山」等の横断急行で国鉄末期まで使用された。国鉄末期のダイヤ改正では急行の減車が相次ぎ当車も余剰となるが、ローカル輸送用として活用することとなり、1987年2月27日付で竹下へ移動しそのままJR九州へ継承された。JR化後は主に波動用として使用され、1989年頃には0番台車では珍しく九州急行色へ変更された。1991年3月16日には輸送力調整のため直方へ移動し、波動用の他筑豊本線や日田彦山線の普通列車で使用された。その後1997年3月22日には需給調整でキハ140と交換する形で大分へ移動し、九州急行色のまま久大本線の普通列車で使用されたが、1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入され、その関係でキハ40系が鹿児島へ転出し、玉突きで状態の良いキハ58系が鹿児島から大分へ転入し、当車は入れ替わりで余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初後期車と同様のステップ一体型となっていたが、後年、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。また、竹下・大分時代特有の「タウンシャトル」の逆台形状のヘッドマーク受けと、急行用のフック式ヘッドマーク掛けの両方が取り付けられている。。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。その他はほぼ原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る