キハ58 264 → キハ58 5502




1963年1月30日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有で新潟機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット262〜264全車が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等で運用されたが、1963年下旬には長大編成用400番台が投入され、当車は兄弟の263と共に1963年10月頃に九州は大分へ転出した。大分では豊肥本線・久大本線系統の横断急行で主に使用されるようになった。その後1968年10月頃には急行「えびの」系統の拡充のため熊本へ転出した。熊本では肥薩線等の勾配路線急行に使用されていたためキハ58主体の編成で長らく非冷房であったが、九州では急行の冷房化を強力に推し進めたためキハ65の投入により熊本を追われ、1972年11月18日付で長崎へ転出した。長崎では松浦線経由のローカル急行「平戸」がキハ58+キハ58の編成で非冷房であったため、これに使用された。1972年以降は九州で非冷房のキハ58系は長崎の一部と直方のみであった。1970年代中盤は、1975年3月の新幹線博多開業に伴うダイヤ改正及び1976年6月の長崎本線電化によるダイヤ改正によって九州の非冷房キハ58系は直方配置の800番台を除き一旦消滅することになり、当車は冷房化改造されず非冷房のまま1976年7月8日付で名古屋へ転出した。名古屋では急行「きそ」「のりくら」「紀州」「大社」等で使用されていたが、名古屋でも冷房車が優勢となっており、1978年10月の急行「きそ」縮小の際に余剰となり、1978年10月2日付で七尾へ転出した。この際に新潟で生き別れた兄弟の262と再会している。当改正では七尾に配置されていた非冷房キハ58が、各地から転入の冷房キハ58によって置き換えられる事象が発生していたが、当車は非冷房のまま七尾へ転入している。そして冷房化最末期の1979年にようやく冷房化された。冷房化は急行「能登路」をはじめ七尾線の普通列車でも使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化後は主に急行に使用され、1990年2月28日付で「七尾急行色」へ変更された。しかし1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化により余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年2月19日付でロングシート化の上キハ58 5502へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1993年11月12日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年4月19日付で廃車となった。

外観は金沢局時代の形態を色濃く残している。
前面は、金沢時代に前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。タイフォンはシャッター式に改造されている。テールライトは、一時期運転席側のみ外ばめ式に更新されていたが、のちに助手席側も外ばめに改造されており、運転席側は後期車のように外板と一体の外ばめ式、助手席側はビス止めの外ばめ式と、左右で異なる。制御用KE53ジャンパ受栓は離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。運転席側バランサー点検蓋は追設されており、金沢局に多く見られる上下2箇所開口となっている。当車は乗降扉下部隅に丸窓が残っている。
屋根上は、通風器は冷房車標準の押し込み型である。また水タンクは金沢時代に断面5角形の角ばったものに交換されている。
床下は、ほぼ原型である。


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