キハ58 265




国鉄〜JRでは珍しい車籍復活車両。

1963年2月12日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有で新潟機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット265〜267全車が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等で運用されたが、1963年下旬には長大編成用400番台が投入され、当車は同ロットの仲間とともに九州へ移動し、当車は前ロットの263・264と共に1963年度中に大分へ転出した。大分では豊肥本線・久大本線系統の横断急行で主に使用されるようになった。大分担当急行は勾配路線が多く冷房化が遅れたが、キハ65の投入を待って1971年度に冷房化された。その後も引き続き急行「由布」「火の山」等の横断急行で国鉄末期まで使用された。国鉄末期のダイヤ改正では急行の減車が相次ぎ当車も余剰となり、1987年3月30日付で一旦廃車となった。JR化後は運転本数の増加、客車列車の置き換え等で気動車の需要は高く、1988年5月25日付で復籍し直方気動車区に配置された。この復籍整備の際に九州色へ変更された。復籍後すぐの1989年3月11日付で大分へ移動した。最後は生まれ故郷の大分で長く活躍したが、1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入され、その関係でキハ40系が鹿児島へ転出し、玉突きで状態の良いキハ58系が鹿児島から大分へ転入し、当車は入れ替わりで余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初後期車と同様のステップ一体型となっていたが、後年、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、1990年代の九州では珍しく、原形のスリット状カバーを装備する。また、竹下・大分時代特有の「タウンシャトル」の逆台形状のヘッドマーク受けが取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原形である。
床下では、前位側助手席側のみスカートの取り付けが行われている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。


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