キハ58 268



1963年2月22日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有で米子機関区へ配置された。同一ロット268〜270のうち、当車のみが米子配置であった。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。以後山陰地区内で運用変更による移動があり、1968年度に岡山へ転出した。岡山では伯備線の急行を中心に、津山線・姫新線系統の急行に使用された。冷房化は岡山にキハ65が投入された1972年頃であると思われる。国鉄時代晩年は姫新線系統の急行「みまさか」や因美線の「砂丘」を中心に運用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「みまさか」の廃止、急行「砂丘」の鳥取区集約により急行運用を失うが、引き続き普通列車や波動用として使用された。1991年3月16日付で、運用の実態は不変ながら組織改正で津山鉄道部へ移管された。しかしながら老朽化及び波動運用の減少により1998年6月23日付けで廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口、水切りは原形である。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの左右に離れて設置され、ステップは原形の位置のままである。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは内ばめ式の取り付けビスを活かしたまま、外ばめ式に更新されている。
側面では、0番台車であるが乗降ドア隅の丸穴が付いており、Hゴムが黒くなったものの残存している。運転室窓バランサー点検蓋が新設されており、蓋がボルト止めされている。それ以外はほぼ原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器はほぼ原形である。


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