キハ58 276



末期まで旧秋田色を纏ったキハ58の1両。

1963年3月1日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で青森機関区へ配置された。同一ロット275〜278のうち、275・276が青森へ配置されている。青森では東北北部の急行に使用され、「43-10改正」では青森へ大量の485系電車が配置されることから一部運用を八戸(尻内)へ移管することになり、同年度中に尻内機関区へ転出した。その後尻内機関区は八戸機関区と改称され、引き続き東北北部の急行で使用された。1972年度には車両交換で盛岡機関区へ転出し、その後1973〜1974年にかけて急行「しらゆき」「おが」の指定席車冷房化の種車に抜擢され、同時期に冷房化の後1973年10月1日付で秋田運転区へ転出した。秋田へ転出後は前述の通り主に急行「しらゆき」等の幹線急行の指定席車で使用された。「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」は軒並み廃止され、当車は支線急行の冷房化に回る事になり、1982年11月15日付で山形機関区へ転出、、急行「もがみ」「月山」等で使用されるようになった。国鉄末期のダイヤ改正で特急格上げ、減便、減車によりキハ58は余剰となるが、「60-3改正」で盛岡担当の急行「陸中」が冷房化されることになり、1985年3月20日付で盛岡へ転出した。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後も引き続き急行「陸中」をはじめ普通列車で使用され、またJR化直前の1987年3月には「盛岡色」へ変更されていた。1990年代のキハ110系投入による車両転配・淘汰の際に、当車は陸中運用から外れ1991年5月26日付けで八戸へ転出した。また前後して同時期に機関が新潟鉄工製DMF13HZへ換装された。八戸では唯一の冷房車であり冷房を使用することが出来なかったが、1992年3月25日には秋田へ転出し、田沢湖線・男鹿線等の普通列車で使用されるようになった。転出後の1992年頃からは新たに制定された「秋田色」へ変更された。秋田地区では1994年12月3日のダイヤ改正で弘前担当の花輪線運用が廃止され快速「八幡平」が盛岡担当となったり、1996年3月30日のダイヤ改正で田沢湖線が秋田新幹線への改築工事のため運休となり秋田担当の田沢湖線運用がなくなるなど、秋田におけるキハ58の運用は縮小の一途を辿っていたが、当車は冷房車であることから予備車や波動用として長く使用された。しかしながら、1990年代後半にはキハ40系も余剰気味となる時代となり、2000年4月3日付で老朽化のため廃車となった。

前面は、国鉄時代の秋田配置時に土崎工場で前面補強されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。水切りは撤去されていない。デフロスタは、運転席側のみに付いている。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、珍しく、運転席側は回転蓋式、助手席側はシャッター式となっている。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。制御用ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの左右に寄っており、また冷房電源用KE7ジャンパ受栓の位置が通常より低い初期冷房車の形態で、晩年では珍しい。また、当車は標識灯掛けフックの位置がタイフォンの内側付近へ移設されており、大変珍しい。
側面では、車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。晩年の東北地区配置車共通で、車体中央付近側窓下にサボ挿しが追加されている。便所付近には、汚物処理装置取り付け工事がなされ、同装置の点検蓋が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下では、エンジンが新潟鉄工製DMF13HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは角型のものに更新されている。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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