キハ58 277



1963年3月1日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で秋田機関区へ配置された。同一ロット275〜278のうち、当車のみが秋田へ配置されている。秋田では奥羽本線系統の幹線急行で使用開始した。その後も長く秋田で活躍し、1973年には青森から移管された急行「しらゆき」が一部冷房化されることになり、当車は1973〜1974年に冷房化された。その後は主に急行「しらゆき」等の幹線急行の指定席車で使用された。「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」は軒並み廃止され、当車は支線急行の冷房化に回る事になり、1982年11月15日付で山形機関区へ転出、、急行「もがみ」「月山」等で使用されるようになった。国鉄末期のダイヤ改正で特急格上げ、減便、減車によりキハ58は余剰となるが、「60-3改正」で盛岡担当の急行「陸中」が冷房化されることになり、1985年3月20日付で盛岡へ転出した。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後も引き続き急行「陸中」をはじめ普通列車で使用され、またJR化直前の1987年3月には「盛岡色」へ変更されていた。1989年11月にはJR東日本の機関換装の第1弾として新潟製DMF13HZへ換装された。1990年代のキハ110系投入による車両転配・淘汰の際も引き続き盛岡に残り、冷房は使用できないものの普通列車として山田線・花輪線で活躍した。しかしながら1994年より701系が盛岡地区へ進出し東北本線の気動車普通列車が電車化された際に余剰となり、1994年8月10日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の秋田配置時に前面補強されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。水切りは撤去されていない。デフロスタは、運転席側のみに付いている。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原型のままで、秋田地区標準の形態である。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター式に改造されている。放送用ジャンパ線受は、盛岡地区標準位置の、タイフォン横のステップ上部へ移設されている。制御用ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの左右に寄っている。当車は標識灯掛けフックの位置がタイフォンの内側付近へ移設されており、大変珍しい。
側面では、車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。晩年の東北地区配置車共通で、車体中央付近側窓下にサボ挿しが追加されている。便所付近には、汚物処理装置取り付け工事がなされ、同装置の点検蓋が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下では、エンジンが新潟鉄工製DMF13HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは原形のままである。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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