キハ58 278



1963年3月1日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で松本機関区へ配置された。同一ロット275〜278のうち、当車のみが松本へ配置されている。松本へは夏季輸送用の一時的な仮配置で、夏季輸送の終了及び400番台の増備により1963年9月27日付で青森へ転出するが、同年度中に山形へ移動している。山形では急行「ざおう」等の幹線急行で使用されたが、山形へ400番台増備に伴い1964年度で青森へ転出した。その後は急行「しらゆき」や青森周辺の支線急行で活躍したが、1968年には青森運転所へ特急型電車が配置されることから一部運用を尻内(後の八戸)へ移管することになり、同年に尻内機関区へ転属した。更に1970年度には運用移管で盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」等仙台以北の幹線急行で引き続き長く使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」後は同じく盛岡で釜石線・山田線・花輪線・田沢湖線の普通列車で使用された。その後「60-3改正」で急行「陸中」の冷房化のため各地から冷房キハ58系が盛岡へ転入し、当車は玉突きで一ノ関へ転出した。一ノ関では客車列車を置き換え、北上線や大船渡線で使用された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1987年12月に盛岡色へ変更され、普通列車のほか快速「むろね」や新設された快速「南三陸」で使用された。そのため前面にこれらのヘッドマークステイが取り付けられていた。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され北上線・大船渡線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1993年2月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は両側とも残存している。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。また前述の通り、貫通扉に快速「むろね」「南三陸」用のヘッドマ−クステーが取り付けられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下はほぼ原形で、複線用スノープロウを付けている。


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