キハ58 279



1963年3月9日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で和歌山機関区へ配置された。同一ロット279〜282のうち、当車のみが和歌山へ配置されている。和歌山へは夏季輸送用の一時的な仮配置で、夏季輸送の終了により1963年9月12日付で秋田へ転出するが、同年度中に山形へ移動している。山形では急行「ざおう」等の幹線急行で使用されたが、山形へ400番台増備に伴い1964年度で青森へ転出した。その後は急行「しらゆき」や青森周辺の支線急行で活躍したが、1968年には青森運転所へ特急型電車が配置されることから一部運用を尻内(後の八戸)へ移管することになり、同年に尻内機関区へ転属した。更に1970年度には運用移管で盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」等仙台以北の幹線急行で引き続き長く使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」後は同じく盛岡で釜石線・山田線・花輪線・田沢湖線の普通列車で使用された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は、1988年には八戸のキハ22を置き換えるため1988年3月13日付で八戸へ転出し、八戸線・大湊線から青森へ直通する快速「なつどまり」を中心に使用されるようになった。そして1988年11月2日付で盛岡色へ変更された。八戸での活躍は短く、1989年10月27日には盛岡へ戻った。しかし1990年より始まったキハ110系が大量新製に伴う車両転配で同地区はキハ40系に統一されることになり、1992年10月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は両側とも残存している。放送用ジャンパ栓受は、後年秋田局への配置歴が無いながら秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。当車は八戸で盛岡色へ変更されており、車番表記が赤色となっている。
床下はほぼ原形で、複線用スノープロウを付けている。


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