キハ58 280



1963年3月9日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット279〜282のうち、当車のみが大分へ配置されている。大分へは夏季輸送用の一時的な仮配置で、夏季輸送の終了により1963年9月18日付で秋田へ転出するが、同年度中に山形へ移動している。山形では急行「ざおう」等の幹線急行で使用されたが、山形へ400番台増備に伴い1964年度で青森へ転出した。その後は急行「しらゆき」や青森周辺の支線急行で活躍したが、1971年以降青森運転所への特急型電車増備から青森運転所の気動車急行運用が他区へ移管され、当車は1971年度中に弘前へ転出した。弘前転出後は急行「深浦」を始め東北北部の急行で使用された。「57-11改正」で急行が廃止された後は格下げされた快速「深浦」や快速「岩木」等で活躍するが、「59-2改正」では需給の関係で車両交換があり、1984年2月1日付で秋田運転区へ転出するが、「60-3改正」では再び弘前へ戻り1985年3月14日付で転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も弘前配置で引き続き五能線快速や勾配路線の花輪線で使用されたが、1990年より始まったキハ110系が大量新製に伴う車両転配により当車は余剰となり、1992年9月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強されておらずすっきりした面立ちである。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。正面窓上の通風口は両側とも残存している。放送用ジャンパ栓受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンは1984年の時点ではスリット式であったが、以降シャッター式に改造されている。盛岡配置歴はないが、正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下はほぼ原形で、単線用スノープロウを付けている。


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