キハ58 283



国鉄末期にキハ55の置き換えで東北から九州へ渡ったが、幸運にも東北へ帰還できた車両。

1963年4月1日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット283〜286のうち、当車のみが千葉へ配置されている。千葉へは夏季海水浴臨への仮配置で、夏季輸送後は9月27日付で青森へ転出した。青森では東北本線の幹線急行で使用開始し、急行「みちのく」や「三陸」「八甲田」等の名門急行で活躍した。東北本線の全線電化後は急行「しらゆき」や青森周辺の支線急行で活躍したが、1971年以降青森運転所への特急型電車増備から青森運転所の気動車急行運用が他区へ移管され、当車は1971年度中に秋田へ転出した。1973年4月7日付で運用の都合で秋田から青森へ転出するが、1973年10月1日付で青森の急行型配置は秋田及び盛岡へ移管され、再び短期間で秋田へ戻っている。秋田では青森から移管された急行「しらゆき」の他、急行「おが」や「羽越」等奥羽本線・羽越本線系統の急行で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」は軒並み廃止され当車は余剰となり、遠く離れた九州でキハ55系を置き換えるべく、1982年11月29日付で熊本へ転属した。熊本では、非冷房車であることから豊肥本線や高森線といった勾配路線で普通列車で使用された。しかし1984年になるとより運用効率の良いキハ52が捻出されるようになり非冷房キハ58は余剰となり、当車は汚物処理装置を装備していて使いづらいことから1984年度で広島へ転出した。広島では芸備線・岩徳線・岩日線でローカル輸送に使用されたが、非冷房で使いづらいことから1985年3月25日付で盛岡へ転出した。3年ぶりの東北への里帰りであった。盛岡では釜石線・山田線・花輪線・田沢湖線の普通列車で使用され、JR化直前の1987年2月に盛岡色へ変更され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も盛岡配置で前述の路線でローカル輸送に使用された。1990年より始まったキハ110系投入による車両転配で余剰となるが、他区のエンジン換装に伴う予備車確保で活用されることになり、1991年4月10日付で新潟へ転出した。転出後1991年11月1日には組織改正で新津運輸区所属となったが、磐越西線や米坂線の快速・普通列車で盛岡色のまま使用された。しかし機関換装も終わり予備車としての役割も終わり、1992年3月1日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の秋田配置時に前面補強されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは、熊本時代にスリット式へ改造されていたが、盛岡転属後シャッター式に戻されている。放送用ジャンパ受栓は後期車に準じた、ステップ一体型となっている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理装置取り付け工事がなされた際に便所付近に点検蓋が設置されている。
側面は、概ね原形である。
床下は、後位側に汚物処理装置が取り付けられている。また、複線用スノープロウを付けている。


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