キハ58 284



1963年4月1日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で盛岡機関区へ配置された。同一ロット283〜286のうち、当車のみが盛岡へ配置されている。盛岡では急行「みちのく」「三陸」といった幹線急行で活躍を開始したが、同年度中に青森へ転出している。青森でも引き続き同急行で活躍した。東北本線の全線電化後は急行「しらゆき」や青森周辺の支線急行で活躍したが、1971年以降青森運転所への特急型電車増備から青森運転所の気動車急行運用が他区へ移管され、当車は1971年度中に秋田へ転出した。1973年4月7日付で運用の都合で秋田から青森へ転出するが、1973年10月1日付で青森の急行型配置は秋田及び盛岡へ移管され、再び短期間で秋田へ戻っている。秋田では青森から移管された急行「しらゆき」の他、急行「おが」や「羽越」等奥羽本線・羽越本線系統の急行で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」は軒並み廃止され当車は余剰となり、1982年11月19日付で盛岡へ転属した。盛岡では釜石線・山田線・花輪線・田沢湖線の普通列車で使用され、JR化直前の1987年3月に盛岡色へ変更され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も盛岡配置で前述の路線でローカル輸送に使用された。1990年より始まったキハ110系投入による車両転配で余剰となり、1993年2月1日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の秋田配置時に前面補強されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理装置取り付け工事がなされた際に便所付近に点検蓋が設置されている。
側面は、概ね原形である。
床下は、後位側に汚物処理装置が取り付けられている。また、単線用スノープロウを付けている。


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