キハ58 285



1963年4月1日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で和歌山機関区へ配置された。同一ロット283〜286のうち、当車のみが和歌山へ配置されている。和歌山へは夏季輸送用の一時的な仮配置で、夏季輸送の終了により1963年9月13日付で郡山へ移動している。郡山では急行「いいで」「いなわしろ」等の磐越西線直通急行で主に使用されたが、1964年の車輛増備及び運用移管による車両交換で盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」等仙台以北の幹線急行で引き続き長く使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」後は同じく盛岡で釜石線・山田線・花輪線・田沢湖線の普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化直後の1987年4月には盛岡色へ変更され、引き続き前述の路線でローカル輸送に使用された。1990年より始まったキハ110系投入による車両転配で余剰となるが、機関換装に伴う予備車確保のため活用されることになり、1991年4月7日付で弘前へ転出した。そして他車の機関換装が完了した後予備車としての役割も終わり、1992年9月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準のステップ上部へ移設されているが、他車に比べるとその位置は若干低い。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下はほぼ原形で、複線用スノープロウを付けている。


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