キハ58 287



1963年4月6日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で米子機関区へ配置された。同一ロット287〜290のうち、当車のみが米子へ配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。以後山陰地区内で運用変更による移動が度々あり、1966年度に浜田へ転出し、1969年度には米子へ戻り、1970年度には冷房化されている。その後は1972年の山陽新幹線岡山開業により、伯備線の急行が特急に格上げされた関係で、1972年度中に鳥取へ移動している。鳥取では比較的長く在籍し、急行「砂丘」「みささ」「但馬」「さんべ」等で使用された。1985年12月26日には再び米子に移動するも翌1986年3月27年には再び鳥取へ戻る。国鉄末期には山陰地区の0番台車は軒並み転出もしくは廃車されたが、当車はそのまま鳥取に残留し、JR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「砂丘」「但馬」「さんべ」や山陰本線の普通・快速列車に使用されたが、1994年に山陰本線西部の客車列車置き換えに使用されることになり、199年12月3日付で小郡へ転出した。小郡では黄色ベースの「広島普通色」へ変更され普通列車で使用された。この小郡では新製以来別行動であった同一ロット兄弟の288と再会している。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1999年3月31日付で廃車となった。

外観は鳥取時代が長いので山陰地区の形態を色濃く残している。
前面は、後藤工場タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口・水切りは撤去されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、それに伴い運転室窓下の手すりが短くなっているのは、後藤工場の標準タイプである。制御ジャンパ栓受、ステップの位置は後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、ステップの下にある。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面は、広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。その他は標準的な冷房車の形態である。
床下は、ほぼ原形である。


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