キハ58 290



1963年4月6日新潟鉄工製の4次車で、昭和37年度第1次債務で広島機関区へ配置された。同一ロット287〜290のうち、288〜290が広島へ配置されている。広島では主に九州直通急行「青島」で使用され、1973年頃に冷房化された。1975年の山陽新幹線博多開業で急行「青島」は廃止されたが、その後は芸備線急行で主に使用された。1983年3月には七尾との間で汚物処理装置に関係する車両交換が行われ、当車は1983年3月12日付で兄弟の289と共に七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」や七尾線の普通列車で使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化後は、1988年に能登線が廃止された関係で余剰となり、山陰本線京都口の50系客車列車の気動車化のため1988年9月10日付で福知山へ転出した。福知山では山陰本線の他、舞鶴線・宮津線等で使用されたが、1990年には山陰本線園部電化及び宮津線の廃止により捻出され、当車は客車列車の気動車化のため1990年3月8日付で米子へ転出した。米子では主に快速や普通列車で使用されたが、普通列車のワンマン化・短編成化が進み余剰となり、1992年3月31日付で廃車となった。

当車は国鉄時代の1984年の情報しかないため、当時の形態について記す。
前面は、広島時代に前面補強が施工されているが、名古屋や多度津に類似した形状の補強板である。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンはスリット式のままであるが、助手席側に金沢地区特有の傘状のカバーが取り付けられている。テールライトは、内ばめ式のままである。制御用KE53ジャンパ受栓はタイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、特殊な形状のステップ一体型となっている。
側面は、ほぼ原形のままであるが広島時代に中央部窓下にサボ挿しが追設されている。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下は、ほぼ原形である。


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