キハ58 293



JR四国で最末期まで使用されたキハ58形の1両。特に当車は四国で唯一急行色に塗り戻されていたため絶大な人気を誇っていた。

1963年4月13日日本車輛製の4次車で、昭和37年度第1次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット293〜297のうち、293・294が千葉へ配置されている。千葉への配置は房総夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の9月27日付で郡山機関区へ配属された。郡山では急行「いいで」「いなわしろ」等で使用された。1964年10月改正では受け持ち変更で盛岡機関区へ、また1965年10月改正では青森運転所へ移動し、引き続き東北北部で使用された。青森運転所では幹線急行に使用されたことから優先的に冷房化されており、当車もこの時代に冷房化されたものと思われる。1972年3月には青森運転所の急行型気動車配置が無くなる(他の電車等が増加したため)ため、再び盛岡へ戻ったが使用路線は同じであった。1974年3月25日には秋田へ移動し、冷房車であることから急行「しらゆき」等の幹線急行で使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で当車は地方急行の冷房化に回り、11月15日付で山形機関区へ移動となった。山形では急行「べにばな」「月山」等で使用された。1985年3月改正では東北地区でも特急格上げによる急行の削減が続き、当車は遠く離れた四国へ移動することになった。これは、四国では最古参のキハ57形を淘汰する代替車を求めていたが、四国では既に全車に汚物処理装置が装備されていたので、同じく汚物処理装置が早くから整備された元秋田配置車に白羽の矢が当たったものである。四国ではスノープロウとタイフォンシャッター取り外しのみで東北顔丸出しで引き続き活躍し異彩を放っていた。四国では早い時期から急行の特急格上げ、電化、新型気動車化が進み、車齢の高い・若いに関わらず次々と淘汰が進んだが、当車は同じく東北出身の516番と共に長らく四国で生き長らえた。(ちなみに同じく東北出身の482番は1992年9月30日付で廃車となっている) 四国では国鉄末期の1987年3月22日付で高松から松山へ移動したのち、一貫して松山地区を中心とするローカル輸送に徹していた。1988年10月25日付で四国色へ変更され、1990年6月5日付で近郊化改造された。その後2005年3月24日付で急行色へ塗り戻され、引き続きローカル運用に就いたが臨時列車やリバイバル列車にも多く使用された。しかし最後は最後は2007年の1500形増備による車両転配により余剰となり、2009年3月31日をもって廃車となった。当車は車齢46年であった。

外観的には急行色を纏っているが、Hゴムまで原型の灰色となるなど他地域の塗り戻しと比べても完璧な仕上がりであった。しかし、形態的にはかなり手を加えられていた。

冷房化がなされているが、残念ながらいつの冷房改造化は不明。恐らく青森時代の1970年〜1972年頃であると思われる。
前面は、正面窓上の通風口が埋められている。また、水切りも撤去されているのでつるつるのおでことなっている。正面窓上の小手すりの上に、「架線注意」の札が設置されている。前面補強は秋田地区タイプであり、この形態で末期四国地区を駆け巡っていたというのは、広域転配の証であった。制御ジャンパ受栓は、冷房車でありながら非冷房車のままの位置で、これは東北地区で少数見られた特徴であった。。放送ジャンパ受栓は、四国配置後も秋田地区特有のレールライト左にあったが、1990年代末期に正面向かって左側の、足かけの下に移動され特徴が失われた。タイフォンカバーはシャッター無しである。テールライトは内ばめのままである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは2000年以降の四国共通の標準仕様である。近郊化改造時に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
側面は、ほぼ原形のままであるが、便所撤去にともない便洗面所の臭気抜き小窓が撤去され、また便所窓も透明なガラスに変更されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋及び乗降扉の点検蓋は原形のままであり、手を加えられていた四国生え抜き車との区別は容易であった。
床下では、暖地であることから後位側の機関予熱器が撤去されている。便所が撤去されているため、便所流し管は無い。助手席下の発電動機箱は、サイリスタインバータ箱に変更されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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