キハ58 294



1963年4月13日日本車輛製の4次車で、昭和37年度第1次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット293〜297のうち、293・294が千葉へ配置されている。千葉への配置は房総夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の9月27日付で郡山機関区へ配属された。郡山では急行「いいで」「いなわしろ」等で使用された。1964年10月改正では受け持ち変更で小牛田機関区へ転出した。小牛田では仙台以北の幹線急行で使用され、急行「千秋」や「きたかみ」等で活躍した。小牛田時代は長く続き、東北新幹線開業の「57-11改正」にて東北地区の急行が大幅削減された際に余剰となり、キハ55系置き換えのため1982年11月度に郡山へ転出した。郡山ではキハ55系に代わり磐越西線・磐越東線・只見線等の勾配路線の普通列車で使用されるようになり、そのままJR東日本へ継承された。JR化直後の1987年7月17日には再び小牛田へ転出し、陸羽東線や石巻線・気仙沼線の普通列車の他、快速「南三陸」「いでゆ」で使用されるようになった。そのため前面にこれらのヘッドマークステイが取り付けられていた。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され冷房車が大量に小牛田へ転入すると当車は余剰となるが、他区のエンジン換装に伴う予備車確保で活用されることになり、1991年3月16日付で新潟へ転出した。転出後1991年11月1日には組織改正で新津運輸区所属となったが、磐越西線や米坂線の快速・普通列車で使用された。しかし機関換装も終わり予備車としての役割も終わり、1993年3月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の郡山工場標準タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去された、JR東日本標準スタイルである。放送用ジャンパ受栓は後期車に準じた、ステップ一体型となっている。タイフォンはシャッター式に改造されている。また前述の通り、貫通扉に快速「いでゆ」「南三陸」用のヘッドマ−クステーが取り付けられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形である。
床下はほぼ原形で、複線用スノープロウを付けている。


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