キハ58 298 → キハ58 7002



1963年1月23日日本車輌製の4次車で、昭和37年度第1次債務で竹下気動車区へ配置された。同一ロット298〜300全車が竹下へ配置されている。竹下では主に鹿児島本線や長崎本線系の幹線急行列車に使用された。1970年には冷房化されている。鹿児島本線の電化後は竹下区では主に長崎本線系統の急行に使用された。しかし長崎本線も1976年には電化され、その後も残った気動車急行も「57-11改正」ですべて特急に格上げされ余剰となるが、長崎本線で客車列車の気動車化を進めるためと、老朽化したキハ55・26置き換えるため1983年3月23日付で299とともに長崎へ転出した。長崎では主に大村線や松浦線で普通列車に使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後は松浦線の転換もあり所要数が減少し、当車はジョイフルトレインの種車として活用されることとなり、1988年8月20日付で「ジョイフルトレイン長崎」に改造され、キハ58 7002へ改番された。1990年代の始めは旺盛な需要により団臨用としてフルで活躍したが、1992年頃から定期列車のレベルアップや需要の低迷により稼働率が低くなり、1992年7月15日付で熊本へ転出した。しかし熊本でもほとんど活用されることはなく、JR九州のジョイフルトレイン政策の変換により余剰となり、1994年3月24日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転台窓下の手すりが若干下がっているのは、九州の標準形態である。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、後期車同様のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。なお、正面窓上の通風口、幌枠、標識灯掛けの高さにあった手すりは、改造時に撤去されている。
屋根上は、改造時に通風器がすべて撤去され、前位側デッキ上に換気扇が追加されている。また、屋根上は機器を含め全て車体と同じ白色で塗装されている。
側面は、前位側の乗降扉と戸袋窓が埋められ、また前位寄り3枚分の客用窓が固定式に変更されている。
床下はほぼ原形で、1992年頃よりほとんど稼働していないことから、スカートも取り付けられていないものと思われる。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る