キハ58 305



1963年3月11日富士重工製の4次車で、昭和37年度利用債で高松機関区へ配置された。同一ロットでは303〜305全車が高松へ配置された。高松では1970年7月に冷房化改造され、四国島内の急行列車で使用された。国鉄末期の「61-11改正」後も引き続き急行に使用され、そのままJR四国に継承された。JR化後は瀬戸大橋線開業後の波動輸送用に使用されることとなり、1988年1月18日付で「旅立ち」として登場した。これは塗装変更とバケットシート化・大型テーブル設置が主な改造内容である。その後は修学旅行用を始め団体・波動輸送に使用されたが、急行の特急化が進み次第に持て余すようになり、予讃線電化・2000系投入の1990年11月ダイヤ改正で用途を失い、普通列車用に格下げられ11月21日付で高知へ転出した。高知でも1000型の投入によりキハ58系は次第に数を減らしていたが、当車はボックスシートの元「旅立ち」という異端車ながら、他の近郊改造車に混ざって使用された。しかしながら1997年に松山から近郊改造車の194が転入すると当車は余剰となり、1997年11月29日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、後期車同様のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面はほぼ原形である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。なお台車は1990年代後半よりグレーに塗装されている。


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