キハ58 307



国鉄時代より平窓車ながらスカートを装備していた異端車。

1963年3月16日富士重工製の4次車で、昭和37年度利用債で高松機関区へ配置された。同一ロット306・307両車とも高松へ配置された。高松では前ロットの301〜305とともに一挙7両増備され、四国全域の急行列車で使用開始した。四国では比較的早期の1969年に冷房化されている。その後も長く高松に配置され国鉄末期の「61-11改正」後も引き続き急行に使用され、そのままJR四国に継承された。JR化後は1987年5月29日付で室内がキハ181系発生品の回転クロスシート化され、1988年12月12日には四国色化され、引き続き急行「いよ」「土佐」等で活躍した。1989年にはキハ185系増備により急行の活躍範囲が狭まり、予讃線では松山以遠の急行「うわじま」のみとなり、1989年7月22日付で松山へ転属した。その後も急行「うわじま」で細々と活躍したが2000系の増備は続き、1990年11月のダイヤ改正で急行は全て特急格上げされ、当車はローカル専用となる。しかしながら予讃本線の電化延伸や、他地区への1000系投入により近郊化改造キハ58が転入したことにより余剰となり、1993年11月30日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上にあるが、その形状は後期車同様のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。前位側にスカートが増設されているが、その取り付け用のボルトが台枠部に設置されている。
側面はほぼ原形である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
床下は、前位側にスカートが取り付けられている。また後位側に汚物処理装置が設置されている。


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