キハ58 401 → キハ58 5505




1963年4月20日日本車輌製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの401・402両車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆくが、当車は電化後も残った運用に引き続き使用された。1969年8月〜9月にかけてキハ65形が投入され当区のキハ58が冷房化された際、当車は非冷房のまま残っていたが、1970年頃に長野から冷房車の710が転入し当車は玉突きで美濃太田へ転出した。1971年度には車両交換で長野へ転出するが、1973年の中央西線全線電化で当車は余剰となり、1973年7月度で和歌山機関区へ転出し、紀勢本線の急行で使用されるようになった。和歌山転出後は1975年頃に冷房化された。1980年3月に、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は2月28日付で急行「かすが」用に奈良区へ転出するも、1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は10月中に亀山機関区へ移動した。亀山では急行「かすが」の他、関西本線・片町線・信楽線で使用された。その後1986年3月のダイヤ改正時に亀山の余剰キハ58が活用されることになり、3月6日付で七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」を中心に使用され、そのままJR西日本に継承された。七尾では近郊化改造されず急行専属車となり、1989年度で七尾急行色へ塗装変更された。しかし1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化により余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年3月11日付でロングシート化の上キハ58 5505へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1994年1月14日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年3月31日付で廃車となった。

外観は奈良・亀山時代の形態を色濃く残している。
前面は、名古屋標準タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンはスリット式のままである。テールライトは、内ばめ式のままである。制御用KE53ジャンパ受栓は離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップの下部に設置されている。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。運転席側バランサー点検蓋は追設されており、金沢局に多く見られる上下2箇所開口となっている。
屋根上は、通風器は冷房車標準の押し込み型である。また水タンクは台形のものに更新されている。
床下は、ほぼ原型である。


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