キハ58 404



1963年5月4日日本車輌製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの403〜406全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆくが、当車は電化後も残った運用に引き続き使用された。1969年度にはキハ65の投入により冷房化された。1975年には急行「アルプス」の完全電車化が実施され、当車は1975年3月11日付で長野へ転出し、急行「きそ」「ちくま」「越後」や飯山線の「野沢」で使用された。1978年に中央西線の急行が電車化された際も引き続き長野に残留し、飯山線の急行「野沢」や普通列車で使用された。急行廃止後は普通列車専属となり、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き飯山線の普通列車で使用されたが、1990年より始まったキハ110系投入による転配により余剰となり、1991年7月15日付で廃車となった。
   
前面は、前面補強されておらず、ワイパーも原形のWP35のまま、手すり類も原形のままですっきりした顔立ちである。長野地区ではジャンパ栓・ステップ類の位置が車両によりまちまちで、当車は、制御用KE53ジャンパは、初期冷房車の位置にあり、冷房電源用KE7も通常より位置の低い初期冷房車の位置のままとなっている。放送用ジャンパ栓はステップ下部に台座付きで設置されている。タイフォンはスリット状カバーで、シャッターを使用しないことから、タイフォン上部のシャッター作用箱が撤去されている。
側面は、ほぼ原形のままである。乗降ドア下部の丸窓は5-1次車特有の他より低い位置に設置されている。
屋根上は冷房車の標準的な形態で特筆すべき点はない。
床下はほぼ原形で、長野地区では豪雪にも関わらずスノープロウを付けていない。


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