キハ58 410




1963年5月28日新潟鉄工製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの407〜410全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆくが、当車は電化後も残った運用に引き続き使用された。1969年8月〜9月にかけて当区へキハ65形が投入されると当車はそれに合わせて冷房化され、引き続き使用された。「50-3改正」で気動車急行「アルプス」全て電車化され、多くの仲間が松本を去るが、当車は引き続き松本に留まり、松本〜金沢の急行「白馬」で使用された。その急行「白馬」も「57-11改正」で廃止となり、松本運転所のキハ58配置は無くなり、当車は前ロットの410と共に1982年11月17日付で長野運転所へ転出、キハ55の置き換え及び急行「野沢」として飯山線で使用されることになった。そのままJR東日本へ移管される。JR化後は間もなく「飯山色」へ変更された。その後は1990年6月に機関がカミンズ製DMF14HZへ換装された。しかしながら1997年3月の飯山線キハ110系化の際に余剰となり、当車は活用されないまま1998年2月5日付で廃車となった。

前面は、前面補強されておらず、ワイパーも原型のWP35のまま、手すり類も原型のままですっきりした顔立ちである。当車はJR東日本では珍しく、正面窓上通風口が撤去されていない。長野地区ではジャンパ栓・ステップ類の位置が車両によりまちまちで、当車は、制御用KE53ジャンパは、初期冷房車の位置にある。放送用ジャンパ栓はテールライト右脇にある。タイフォンはスリット状カバーで、シャッターを使用しないことから、タイフォン上部のシャッター作用箱が撤去されている。また、飯山線では2両単位の運用であることから正面の冷房用ジャンパは使用しないため、撤去されている。
側面は、ほぼ原型のままである。運転室側窓のバランサー点検蓋も設けられていない。当ロット特有の、他ロットより低い位置に設けられていた乗降ドア下部隅の丸窓が特徴である。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。
屋根上は、独特の車体色が回りこんでいるが、形状は冷房車標準となっている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZに交換されており、機関予熱器も撤去されている。油タンクは角型のものに交換されており、長野では珍しい。長野地区では豪雪にも関わらずスノープロウを付けていない。


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