キハ58 413



1963年6月6日新潟鉄工製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの411〜414全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆくが、当車は電化後も残った運用に引き続き使用された。1969年8月〜9月にかけて当区へキハ65形が投入されると当車は置き換えられ、長野運転所へ移動した。長野では主に急行「きそ」で使用されたが、早くも1970年度中には急行「きそ」の一部運用を名古屋第一機関区へ移管することから、当車も名古屋第一機関区へ転出した。名古屋では引き続き急行「きそ」や、「紀州」等で広範囲に使用されたが非冷房のままであり、1975年に中央東線急行「アルプス」の全電車化によりキハ65が名古屋に転入した際に余剰となり、当車は1975年2月28日付で七尾へ転属した。七尾ではキハ55系に代わり急行「能登路」で使用された。しかし七尾時代は長くなく、「53-10改正」で中央西線・北陸本線の気動車急行の電車化により中部地方でキハ58系の大きな動きがあり、大量の冷房キハ58が七尾に転入した玉突きで非冷房車の当車は1978年10月1日付で新潟へ転属した。新潟では支線急行に残っていたキハ55を置き換え、急行「赤倉」「いいで」「羽越」「うおの」等で活躍した。しかし新潟時代も長くなく、「55-10改正」以降九州から減車により余剰となった冷房キハ58が新潟に転入すると玉突きで余剰となり、1980年11月19日付で大分へ転属した。大分では老朽キハ55を置き換え、主に豊肥本線・久大本線の普通列車で活躍した。非冷房車であるので基本的に急行運用には使用されなかった。しかし国鉄末期には更なる急行の減車により状態の良い冷房キハ58が普通列車に充当されるようになり非冷房車は順次余剰となり、当車は1985年6月24日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。放送用ジャンパ受栓はステップ一体型で設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、スリット状ながら九州特有の形態のものを装備している。
側面は、5-1次車特有の、通常より低い位置にあるドア隅の丸窓を残している。
屋根上は、新潟及び初期の金沢地区で見られた平らな形状のものに交換されている。
床下はほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る