キハ58 421




1963年6月24日新潟鉄工製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットは419〜422の4両である。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆくが、401〜423は電化後も残った2往復に引き続き使用された。その後1968年にはキロ58の冷房化用に電源セット付きのキハ28が4両投入され、これに捻出される形で420〜423の4両が捻出され、420〜422は1968年10月頃には名古屋へ転出した。名古屋へ転出後は中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」「大社」等で活躍した。1972年には冷房化の関係からか金沢と名古屋の間で車両交換が行われ、当車は1972年6月10日付で金沢へ転出、前後して冷房化されている。金沢では北陸本線〜七尾線直通急行を中心に使用された。「53-10改正」で金沢担当の急行「ゆのくに」が電車化されることになり、当車は急行「能登路」のキハ55系置き換えのため1978年10月2日付で七尾へ転出している。その後「55-10改正」では敦賀担当の急行「わかさ」「はしだて」の冷房化が行われることになり、七尾から当車が1980年10月15日付で敦賀へ転出した。この敦賀が安住の地となり、そのままJR西日本に継承された。JR化後は普通列車運用と急行運用が分けられたが、若番車が急行に充当され、当車も急行用となった。その後は大きな変化は無く1999年10月の小浜線急行廃止まで使用され、急行廃止と共に2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、金沢タイプの前面補強が施工されているが、補強版の境界線が滑らかに仕上げられており目立たない。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。制御用KE53ジャンパ受栓は離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、金沢時代にシャッター付きに改造されている。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口と水切りが撤去され、末期の金沢地区標準のスタイルである。
屋根上は、通風器の配置・形状は標準冷房車の形態である。水タンクは金沢地区標準の、角ばったものに更新されている。
側面は概ね原型である。
床下は概ね原型であるが、1990年代後半より台車等がグレーに塗装されている。

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