キハ58 423



1963年6月5日東急車輌製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットは423〜426の4両である。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆくが、401〜423は電化後も残った2往復に引き続き使用された。その後1968年にはキロ58の冷房化用に電源セット付きのキハ28が4両投入され、これに捻出される形で420〜423の4両が捻出され、当車は5月16日付で千北海道の夏季輸送用に苗穂機関区へ転出し、夏季輸送終了後の9月7日付で高松へ転出した。高松では比較的初期の1969年には冷房化され、長きに渡り四国で急行列車に使用された。「55−10改正」で四国内急行編成が見直され余剰となり、当車は徳島の若番車を置き換えることとなり、1980年10月4日付で徳島へ転出した。徳島では急行「阿波」「むろと」「よしの川」等徳島をベースに使用された。そしてそのままJR四国へ継承された。JR化後は1989年2月28日付で四国色へ変更され、1990年代に入り高徳線の急行が特急へ格上げされた際にはキハ20系や50系客車に代わり普通列車用となった。しかし徳島にはワンマン運転対応の1000系が大量投入され始め当車は余剰となり、1992年9月30日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面はほぼ原形である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は冷房化以降手が加えられていない。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。


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