キハ58 427



1963年6月12日東急車輌製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの427〜430全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆき、当車は1965年度中に長野へ転出した。長野では急行「きそ」をはじめ、中央西線・信越本線の急行で使用された。翌1966年夏季には、中部山岳の登山夏季輸送で使用され1966年6月4日には新潟へ転出するが、1966年9月27日には長野へ戻っている。1968年4月にキロ58冷房化のためキハ28 1500番台が2両新製され、これと入れ替わる形で1968年5月19日付で前ロットの426と共に岡山へ転出した。岡山ではキハ55系に混じり伯備線・津山線の急行で使用された。その後は1972年にキハ65が投入されたのを期に冷房化され、1982年の伯備線電化後は急行「砂丘」「みまさか」で主に使用された。「60−3改正」では急行「みまさか」の縮小により岡山区の運用が無くなり、当車は小海線のキハ57置き換えのため1985年3月27日付で中込へ転出した。以降小海線で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き小海線で使用されたが、1990年より始まった小海線へのキハ110系投入により余剰となり、当車は飯山線の非冷房・若番キハ58置き換えのため1991年11月9日付で長野へ転出した。1968年以来23年ぶりの里帰りであった。また1990年6月には機関がカミンズ製DMF14HZへ更新され、その後に塗装も飯山色へ変更された。長野では前述の通り飯山線で活躍したが、新津へのキハ110系投入により長野へキハ58 1009・1010が転入した際に余剰となり、機関換装後日が浅いにもかかわらず1994年1月1日付で廃車となった。

外観は岡山時代の特徴を残している。
前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口、水切りは原形である。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの左右に離れて設置され、ステップは原形の位置のままである。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは内ばめ式の取り付けビスを活かしたまま、外ばめ式に更新されている。なお当車は中込時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、乗降ドア隅の丸穴がHゴムが黒くなったものの残存している。運転室窓バランサー点検蓋が新設されており、蓋が溶接止めされている。また当車は中込時代に、車体中央部の5枚目と6枚目の客室窓間下にサボ挿しが取り付けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無いが、飯山色の塗り分けが屋根上まで及んでいる。
床下では、機関がカミンズ製DMF14HZへ換装され、その際に機関予熱器が撤去されている。


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