キハ58 428 → キハ58 5508




1963年6月12日東急車輌製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの427〜430全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆき、当車は同ロットの427〜430揃って長野へ転出した。長野では主に急行「きそ」で使用されたが、早くも1970年度中には急行「きそ」の一部運用を名古屋第一機関区へ移管することから、当車も名古屋第一機関区へ転出した。名古屋では引き続き急行「きそ」や、「紀州」「かすが」「大社」等で広範囲に使用されたが、1972年の中部・北陸急行改変の際に金沢との間で車両交換があり、当車は1972年10月1日付で金沢へ転出した。そして転出後1973年頃に冷房化された。金沢では北陸本線〜七尾線直通急行を中心に使用された。「53-10改正」で金沢担当の急行「ゆのくに」が電車化されることになり、当車は急行「能登路」のキハ55系置き換えのため1978年10月2日付で七尾へ転出している。七尾では急行「能登路」を中心に使用され、そのままJR西日本に継承された。七尾では近郊化改造されず急行専属車となり、1989年度で七尾急行色へ塗装変更された。しかし1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化により余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年2月28日付でロングシート化の上キハ58 5508へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1994年2月1日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年4月19日付で廃車となった。

外観は金沢時代の形態を色濃く残している。
前面は、金沢時代に前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。タイフォンは七尾時代にシャッター式に改造されている。テールライトは、一時期運転席側のみ外ばめ式に更新されていたが、最後は両側とも外ばめであった。制御用KE53ジャンパ受栓は左右離れた位置に配置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部へ台座付きで設置されている。当車は運転席側ステップの位置がタイフォンの上部にあり変形車である。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。運転席側バランサー点検蓋は追設されており、金沢局に多く見られる上下2箇所開口となっている。乗降扉下部隅の丸窓は撤去され存在しない。
屋根上は、通風器は冷房車標準の押し込み型である。また水タンクは金沢・新潟地区標準で扁平のものに更新されている。
床下は、ほぼ原形である。


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