キハ58 429 → キハ58 5509




1963年6月12日東急車輌製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの427〜430全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかしながら中央東線は1965年5月には電化され、早くも多くの仲間は他区へ転出してゆき、当車は同ロットの427〜430揃って長野へ転出した。長野では主に急行「きそ」で使用されたが、早くも1970年度中には急行「きそ」の一部運用を名古屋第一機関区へ移管することから、当車も名古屋第一機関区へ転出した。名古屋では引き続き急行「きそ」や、「紀州」「かすが」「大社」等で広範囲に使用され、1970年代中盤には冷房化された。その後長らく名古屋で活躍したが、1982年上期に、高山本線でキハ58 419・730が災害に巻き込まれ廃車となり、その代替として420とともに1982年5月19日付で美濃太田へ転出した。美濃太田では急行「のりくら」の他、高山本線・越美南線の普通列車で使用されていたが、「60-3改正」で一部急行が特急に格上げされることになり余剰となり、当車は1985年3月14日付で七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」を中心に使用され、そのままJR西日本に継承された。七尾では1987年度に近郊化改造され普通列車専属となり、1989年度で七尾普通色へ塗装変更された。しかし1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化により余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年1月20日付でロングシート化の上キハ58 5509へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1994年3月23日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年3月31日付で廃車となった。

外観は名古屋時代の形態を色濃く残している。
名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状のままであるが、助手席側に傘のようなカバーが増設されており、金沢地区の特徴である。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部へ台座付きで設置されている。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。運転席側バランサー点検蓋は追設されている。乗降扉下部隅の丸窓は残存している。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴である。
屋根上は、通風器は冷房車標準の押し込み型である。また水タンクは台形のものに更新されている。
床下は、ほぼ原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る