キハ58 438




1963年7月5日富士重工製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの438〜440全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかし、1965年5月20日には中央東線全線電化が完成し、早くも大量のキハ58が余剰となってしまった。この際431〜438揃って北陸地区へ転用されるようになったが、当車は房総地区の海水浴臨時列車に活用されることとなり、1965年7月1日付で千葉へ転出し、夏季輸送終了後の8月28日付で金沢へ転出した。金沢では北陸本線〜七尾線の急行「ゆのくに」等で活躍するようになった。1972年には名古屋第一機関区との間で車両の交換があり、6月15日付で名古屋へ転出。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用された。そして名古屋にて1970年代中盤に冷房化された。その後は名古屋担当の急行が次々に廃止されるも、残った急行「のりくら」用として国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の一部特急格上げにより余剰となり、当車はJR西日本に継承されることが決まった高山本線北部で使用するために1986年11月2日付で富山へ転出し、そのままJR西日本へ継承された。JR化直後の1987年度には近郊化され、高山本線北部で使用され、1989年7月8日には緑色ベースの「高山色」へ変更された。1991年の七尾線電化による北陸地区の大幅な車両移動の際にも動きはなく、1991年9月20日には高山本線用にワンマン化改造された。高山本線北部は1996年3月のダイヤ改正でキハ120化され、当車は非冷房車や運用効率の悪いキサハ34を置き換えるべく高岡鉄道部へ転属し、氷見・城端線で使用されるようになった。また転属後すぐに白・青・黄の「高岡色U-2」へ変更された。しかしながら、1999年10月の舞鶴線電化により福知山からキハ58系モデルチェンジ車が高岡に転入し、車齢の高い当車は1999年12月16日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状のままである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。正面窓上の水切り・通風口は撤去されている。放送ジャンパは、ワンマン化で1本増え、2本が向かって左側のタイフォン脇に収まる。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されており、乗務員室窓に水切りが追設されてる。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴であった。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。また水タンクは台形のものに更新されている。以上は金沢地区の標準である。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。


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