キハ58 439




1963年7月5日富士重工製の5-1次車で、昭和37年度2次債務で一挙40両松本運転区に新製配置された仲間(401〜440)の1両。同一ロットの438〜440全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかし、1965年5月20日には中央東線全線電化が完成し、早くも大量のキハ58が余剰となってしまった。この際同一ロット兄弟の440と共に名古屋へ転出することになり、同年に中に移動した。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用され、1970年に冷房化された。その後は名古屋担当の急行が次々に廃止されるも、残った急行「のりくら」用として国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の一部特急格上げにより余剰となり、当車は七尾線に在籍した若番車を置き換えるため1986年10月30日付で七尾へ転出し、そのままJR西日本へ継承された。JR化直後の1987年度には近郊化され、七尾線・能登線で使用されたが、1988年3月の能登線第三セクター化により余剰となりしばらくは余剰となっていたが、1988年9月10日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし福知山での活躍も束の間、1990年3月には山陰本線園部電化開業し、1988年9月に福知山に集結したキハ58系は早くも大量に余剰が発生する。当車はしばらく予備車・保留車となり在籍していたが幸運にも山陰本線西部の客車列車気動車化で有効活用されることとになり、1991年9月に小郡へ転出した。小郡では黄色の「広島普通色」に塗装変更され、山陰本線下関口及び山口線で普通列車で使用された。その後1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1999年3月31日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状のままである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。正面窓上の水切りは撤去されている。放送ジャンパは、ステップの下に設置されている。当車は冷房電源用ジャンパ受栓が斜めに傾いて付いており、異端車であった。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の広島地区の特徴。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴である。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。また水タンクは金沢時代に角型のものに更新されている。
床下は、ほぼ原型である。


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