キハ58 443




1963年8月21日日本車輌製の5-2次車で、昭和38年度本予算で松本運転区に新製配置された。同一ロット441〜444のうち、443・444が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかし、1965年5月20日には中央東線全線電化が完成し、早くも大量のキハ58が余剰となってしまった。この際当車は名古屋へ転出することになり、1965年度中に移動した。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用された。そして名古屋にて1970年代中盤に冷房化された。その後は名古屋担当の急行が次々に廃止されるも、残った急行「のりくら」用として国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の一部特急格上げにより余剰となり、当車は老朽化した七尾線の初期車を淘汰するために1986年10月28日付で七尾へ転出し、そのままJR西日本へ継承された。JR化直後の1987年度には近郊化され七尾線普通列車専属となり、1989年6月8日には「七尾普通色」へ変更された。1991年の七尾線電化による北陸地区の大幅な車両移動の際には、氷見・城端線の非冷房キハ45を置き換えるため、1991年9月度に高岡へ転出、1991年7月16日には氷見・城端線用ワンマン化された。この際に一旦水色+ピンクストライプの高岡色Tへ変更されたが、1993年頃には高岡色Uへ変更された。2001年には北陸本線直通列車の減少や編成両数見直しにより余剰となり、2001年12月26日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当車のみに見られる、ヨロイ戸状のタイフォンで、極めて珍しい。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。正面窓上の水切り・通風口は撤去されている。放送ジャンパは、ワンマン化で1本増え、2本が向かって左側のタイフォン脇に収まる。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されており、乗務員室窓に水切りが追設されてる。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴であった。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。また水タンクは台形のものに更新されている。以上は金沢地区の標準である。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。


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