キハ58 446




JR東日本、新潟支社のカーペット車。

1963年10月30日新潟鉄工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で甲府機関区へ配置された。同一ロット445〜447のうち、445・446が甲府へ配置されている。甲府では同時期に配置された472・473と共に急行「アルプス」の増結車として活躍したが、1965年10月の中央東線全線電化で早くも甲府を追われ、増発の続く「きのくに」用に1965年10月19日付で和歌山へ転出した。以降長らく「きのくに」で使用された。「55-10改正」では381系増備により急行「きのくに」3往復が特急「くろしお」に格上げされ、この際に余剰となる。当車は中部地区の急行冷房化に使用されるようになり、1981年2月13日付で新潟運転所へ転出した。新潟では、主に急行「いいで→あがの」「あさひ→べにばな」「羽越」「うおの」「赤倉」等で使用された。上越新幹線開業後は「赤倉」が電車化されるも、他の支線急行で急行の冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、当車はこの際に余剰となるが、幸運にも余剰車の有効活用でカーペット車化されることになり、1985年6月18日付で改造された。改造当初は塗装もそのままで他車との区別はなかったが、1986年度に、クリーム色ベースに緑ストライプの新塗装へ変更され、そのままJR東日本に継承された。1991年8月には機関換装され、カミンズ製DMF14HZに更新された。当初余剰活用車で若番車である当車が選ばれたが、これが幸いし後年まで長く新潟地区で活躍することとなった。1991年11月1日には組織改正で新津運輸所へ移管した。1995年には現行のグレーベースの新塗装へ変更されたが、老朽化のため2002年6月12日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。水切りは撤去されていない。デフロスタは、新潟地区標準で両側に付いている。ワイパーは、新潟時代にWP50に改造され、その際に運転室側の手すり位置が若干下がっている。テールライト横付近にあった手すりは、和歌山時代から位置がかなり下がっており、しかも運転席側は付いていない異端児であったが、後年、不便であったのか、通常の位置に2つ追加されており、特異な形状である。テールライトは外ばめ式にされているが、内ばめ時代のビス留めを生かした形状となっている。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。放送用ジャンパ受栓は、1995年までは関西時代の、テールライトとタイフォンの間付近に設置されていたが、2000年頃に後期車同様のステップ一体式にされている。制御用ジャンパ受栓の位置は、左右に離れた位置である。
側面では、運転室窓バランサー点検蓋は付いていない。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。新潟地区では側面窓下にサボ差しを装備していたが、当車は団体輸送専用であったからか、付いていない。乗降ドア隅の丸窓は、ガラスが撤去され鉄板で埋められた、JR東日本でよく見られた形状である。
屋根上は通風器は原型であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。雨どいが、新潟地区特有の、鉄板で滑らかに処理されたタイプとなっている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは原型のままである。


1988年頃

↑JR化後間もない姿。JRマークは見える範囲には貼り付けされていない。


1990年頃

↑1990年頃の時点では屋根雨どいが滑らかに仕上げられている。その他は1988年と相違は見当たらない。


1992年頃

↑1991年8月に機関がカミンズ製へ換装され、側面の給水口も埋められている。その他側面にあった「Carpet」のロゴが無くなり、タイフォンカバーも竹槍ではなく円筒状のカバーに変わっている。



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