キハ58 447



関西地区で団臨や修学旅行用として2000年代まで使用された車両。

1963年10月30日新潟鉄工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で宮原機関区に新製配置された。同ロット445〜447では、当車のみ宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。「55-10改正」では急行の減車が行われ、当車はキハ55系の置き換えで七尾線急行に使用されることになり、1980年10月28日付けで七尾へ転出した。七尾へは次ロットの448・449と同時期に移動した。七尾ではスノープロウが取り外された。その後1983年3月には、広島運転所との間で、汚物処理装置の有無より車両の交換が行われ、同装置を装備しない219・236・289・290が3月12日付で広島から転入し、装備する103・447・448・449が3月17日付けで広島へ転出した。広島では急行「ちどり」等、芸備線の急行で主に使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化直後の1988年3月には芸備線急行の減車が行われ、3両基本編成から2両基本編成へ変更される。これにより当車は余剰となり、1988年9月28日付で兄弟の447〜449揃って福知山へ転出した。福知山への転出は、当時山陰本線京都口で残っていた50系客車列車を気動車化し、運転効率を上げることと冷房化率を上げるのが目的であった。1990年3月には山陰本線京都口が電化されることになり福知山のキハ58系は大量に余剰となるが、当車は汚物処理装置付であることが買われ、関西地区の波動輸送列車を気動車化するため1990年3月10日付で448と共に向日町へ転出した。1996年3月には組織改正で向日町運転所は京都総合車両所と名称を変えたが、波動用中心の運用実態は同じであった。しかしながらキハ58系の老朽化により波動輸送がキハ181系化されることになり、2003年6月12日付けで廃車になった。

外観的には、関西地区の標準形態を保っている。
前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。正面窓上の通風口は撤去されているが、水切りは残っている。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは当初シャッター付きで落成していたが、2001年頃に山陰地区と同様のスリット状へ変更されている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。前面は概ね宮原時代の特徴を色濃く残していた。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、後年追設され鉄板で塞がれている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。側面中央部付近に広島時代のサボ挿しが晩年まで残っていたが、2001年の検査時に撤去されている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下では、後位側に、汚物処理タンクが設置されている。宮原配置時代は複線用スノープロウを付けていたが、七尾時代に撤去されている。


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