キハ58 449



1963年11月5日新潟鉄工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で宮原機関区に新製配置された。同ロット448・449両車とも宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。「55-10改正」では急行の減車が行われ、当車はキハ55系の置き換えで七尾線急行に使用されることになり、1980年10月9日付けで七尾へ転出した。七尾へは447・448と同時期に移動した。七尾ではスノープロウが取り外された。その後1983年3月には、広島運転所との間で、汚物処理装置の有無より車両の交換が行われ、同装置を装備しない219・236・289・290が3月12日付で広島から転入し、装備する103・447・448・449が3月17日付けで広島へ転出した。広島では急行「ちどり」等、芸備線の急行で主に使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化直後の1988年9月には芸備線急行の減車が行われ、3両基本編成から2両基本編成へ変更される。これにより当車は余剰となり、1988年9月28日付で兄弟の447〜449揃って福知山へ転出した。福知山への転出は、当時山陰本線京都口で残っていた50系客車列車を気動車化し、運転効率を上げることと冷房化率を上げるのが目的であった。1990年3月には山陰本線京都口が電化されることになり福知山のキハ58系は大量に余剰となり、兄弟の447・448は向日町へ戻り大阪を中心とする波動用に使用されたが、当車は活用されることなく1991年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーはシャッター付きである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。
側面では、乗務員室窓バランサー点検蓋は、後年追設され鉄板で塞がれている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。側面中央部付近に広島時代のサボ挿しが残ってる。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下では、後位側に、汚物処理タンクが設置されている。宮原配置時代は複線用スノープロウを付けていたが、七尾時代に撤去されている。


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