キハ58 451 → キハ58 7206



1963年10月31日帝国車両製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同ロット450〜451全車が新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」をはじめ、急行「越後」「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。1972年に、急行「越後」運用が長野持ちとなり、当車は450と共に1972年10月2日付で福知山機関区へ転出した。福知山では1970年代中盤に冷房化され、急行「丹波」「丹後」等で使用された。1985年の和歌山からの後期車転入、1986年11月の福知山線電化による急行「丹波」廃止時も生き残り、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は引き続き急行「丹後」で使用された。1992年より急行指定席車のグレードアップを図ることになったが、この際に種車に抜擢され、1993年3月10日付で「キハ58 7206」へ改造された。改造後は指定席車として急行の先頭に立ち活躍したが、1996年3月改正で山陰本線電化により急行は全廃され、1997年6月24日付で廃車となった。廃車後はタイ国鉄へ譲渡された。

前面は、前面補強は福知山時代由来の後藤工場タイプである。正面窓上の通風口はアコモ改造時に撤去されたが、水切りは原型のままである。デフロスタは取り付けられていない。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは後藤工場特有の形状である。タイフォンカバーはシャッター付きである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、山陰地区では数少ない例である。制御ジャンパ受栓・ステップは後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山地区特有の、標識灯掛けの横付近に移設されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは福知山地区の標準。その他はほぼ原型である。
屋根上はアコモ改造時に、通風器がJR西日本更新車特有のハーフガーランドに交換され、また水タンクも角型のものに更新されている。
床下は、ほぼ原型である。


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