キハ58 454



1963年11月29日帝国車両製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同ロット452〜455全車が新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」をはじめ、急行「越後」「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。1970年には一部運用の移管が行われ、当車は1970年10月1日付で弘前運転区へ転出した。弘前転出後は急行「深浦」を始め東北北部の急行で使用された。「57-11改正」で急行が廃止された後は格下げされた快速「深浦」や快速「岩木」等で活躍するが、「59-2改正」では需給の関係で車両交換があり、1984年2月1日付で秋田運転区へ転出するが、「60-3改正」では再び弘前へ戻り1985年3月14日付で転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も弘前配置で引き続き五能線快速や勾配路線の花輪線で使用され、1990年7月には機関が新潟製DMF13HZへ換装された。前後して塗装も弘前色となり活躍した。1994年12月には運用の見直しがあり弘前運転区配置車は南秋田運転所へ統合されるが、同時に秋田の状態の良い車両と混運用となり、また一部電化区間の普通列車が701系電車化され当車は余剰となり、1995年3月1日付で廃車となった。当車は兄弟の452と一生共にした。

前面は、前面補強の形跡が見受けられない。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は両方とも残存している。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原型のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準、テールライトの外側付近にある。当車は非冷房車であるが、制御用ジャンパ受栓が若干タイフォン寄りに移設されている。また当車は他車と比べ標識灯掛けの位置が若干高く、弘前色のオレンジ帯から上へはみ出ている。
屋根上は、ほぼ原型のままである。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。また側面中央部の側窓下にサボ挿しが追設されている。乗降扉隅の丸窓は埋められ存在しない。
床下では、機関は、新潟製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。スノープロウは複線用を取り付けている。


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