キハ58 456



1963年12月6日新潟鉄工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同ロット456〜458全車が新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」をはじめ、急行「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。1970年に、他区所との一部運用持ち替えがあり、当車は前ロットの455と共に1970年10月1日付で水戸機関区へ転出した。水戸では急行「いいで」「いなわしろ」「いわき」の磐越東・西線の急行をはじめ急行「奥久慈・ときわ」で使用された。1970年中盤には水戸で冷房化された。国鉄末期の「55-10改正」「57-11改正」で磐越東線・西線の急行運用から水戸区は順次撤退したが、当車は引き続き水郡線で使用され、「60-3改正」で水戸の急行運用全廃後は主に水郡線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後は1989年頃に水郡線色へ変更され引き続き水郡線で使用されたが、1992年3月よりキハ110系が水郡線に投入されることになり、当車は冷房車であることから引き続き活用されることになり、1992年3月14日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」の冷房化に貢献した。また転属に先立ち、1991年5月にエンジンがコマツ製DMF11HZへ換装された。小牛田へ転出後しばらくは水郡色で活躍したが、程なく「東北地域本社色」へ変更された。以後快速運用を中心に活躍したが、1999年の快速「月山」廃止により新庄のキハ58系が小牛田に転入したことから捻出され、1999年4月5日付で廃車となった。

外観的には、水戸地区の標準形態を保っている。
前面は、前面補強が水戸時代に施工されている。助手席側の通風口のみ撤去されている。正面窓は熱線入りガラスとなりデフロスタは撤去されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すりは原型のままであり、大宮工場タイプの施工である。タイフォンカバーはシャッター付きに改造されている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されており、冷房用電源ジャンパ受栓も初期冷房車のまま、低い位置に設置されている。これは水戸・新潟でよく見られた形態であった。放送ジャンパ受栓は、後期車同様、ステップと一体化されたものとなっている。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原型を保っている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。クーラーは全てルーバーがメッシュタイプのものが取り付けられている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。また、新潟時代から複線型スノープロウを取り付けている。


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