キハ58 457



1963年12月6日新潟鉄工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同ロット456〜458全車が新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」をはじめ、急行「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。1972年に、急行「越後」運用が長野持ちとなり余剰となり、1972年10月2日付で豊岡機関区へ転出した。豊岡では1973年に冷房化され、急行「但馬」「丹波」「丹後」等で国鉄末期まで活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は亀山区の若番車置き換えのため1986年11月1日付で亀山へ転出し、そのままJR西日本へ継承された。1987年7月13日の信楽線転換後は亀山のキハ58は余剰気味であったが、1988年9月29日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし福知山での活躍も束の間、1990年3月には山陰本線園部電化開業し、1988年9月に福知山に集結したキハ58系は早くも大量に余剰となった。当車は余剰車となり1990年3月31日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター式である。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。なお当車は亀山時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面はおおむね原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原形である。


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