キハ58 462



1963年11月13日東急車輌製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同ロット461〜462両車とも新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」をはじめ、急行「越後」「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。新潟での活躍は長く続き、「57-11改正」での急行「赤倉」廃止後も引き続き「べにばな」「あがの」等の支線急行で使用されていたが、「59-2改正」での減車減便で余剰となり、1984年3月16日付けで盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」や盛岡周辺の普通列車で使用されたが、「60-3改正」で急行「陸中」の冷房化用に各地から冷房キハ58系が転入した際に入れ替わりで秋田へ転出することになり、3月18日付で移動した。秋田では田沢湖線・奥羽本線・男鹿線の普通列車で使用されたが、「61-11改正」で山形から冷房キハ58が転入した際に入れ替わりで山形へ転出し、1986年10月29日付で移動した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は急行「べにばな」「月山」や、米坂線・陸羽西線等の普通列車で使用された。1988年の長井線第三セクター化により捻出され1988年3月13日付で再び秋田へ転出し、主に普通列車で使用された。しかし1990年以降キハ110系が各地に新製された際の転配で余剰となり、1993年6月1日付けで廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。タイフォンカバーは、新潟時代の竹槍状の筒が外され、スリット状のカバーとなっている。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準、標識灯掛けの外側付近にある。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残存している。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。その他はほぼ原形である。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、単線用スノープロウが取り付けられている以外はほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る