キハ58 463



1963年11月20日東急車輌製の5-2次車で、昭和38年度本予算で宮原機関区に新製配置された。同ロット463〜465全車が宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。また1970年代中盤には冷房化された。「55-10改正」では急行の減車が行われ、当車は非冷房キハ58系の置き換えで山陰地区で使用されることになり、1980年10月23日付けで米子へ転出した。宮原からの当車の他、和歌山から219・312・472が米子地区へ転出し、代わりに米子局管内で非冷房のままであった643・651・1124・1130が捻出されるという玉突きが行われている。米子転出後は山陰本線の急行で活躍したが、1981年にキハ58 252が事故廃車された際に代替として使用されることになり、1981年4月1日付で高松運転所へ転出した。汚物処理装置が付いていたのが当車が選定された理由であったと思われる。その後は四国へ定住し、急行削減後も生き残り、そのままJR四国へ継承された。JR化後は主に急行に使用され、1987年12月8日付でバケットシート化、1989年2月22日付で「四国色」へ塗り替えられた。しかし急行の廃止により用途変更し、1990年8月10日付で近郊化改造された。改造後は1990年11月21日付で松山へ転出し、主に予讃本線の普通列車で使用された。しかしながら、1999〜2000年には高徳線特急のN2000系化により余剰となったキハ185形が格下げ改造され普通列車に進出してきた関係で余剰となり、2001年3月31日付けで廃車となった。

外観的には、関西地区と四国の特徴が合わさった、特徴のある形態になっている。
前面は、前面補強は多度津工場タイプである。正面窓上の通風口は残っているが、水切りは撤去されている。デフロスタは温暖地であり付いていない。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーはスリット状となっている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、ステップの下付近に設置されている。
側面では、乗務員室窓バランサー点検蓋が台枠付近に開けられており、四国固有の形態である。汚物処理タンクが設置されていたので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は,近郊化改造時に屋根上水タンクが撤去されており、キハ28のような形態になっている。通風器は冷房車標準の押込通風器である。
床下では、後位側に汚物処理装置が取り付けられていたが、近郊化改造の際に便所撤去と共に撤去されている。また床下機器・台車はグレーで塗装されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る