キハ58 464



1963年11月20日東急車輌製の5-2次車で、昭和38年度本予算で宮原機関区に新製配置された。同ロット463〜465全車が宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。また1971年度には冷房化された。国鉄時代末期まで宮原で活躍したが、「60-3改正」で急行「みささ・みまさか」の縮小が行われ余剰となり、当車は汚物処理装置付きであったことから1985年3月27日付で高松へ転出した。高松へは、車齢が高く特殊装備で使いづらいキハ57の淘汰のための転出であった。高松では徳島地区を除く四国全域で急行列車で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は特急の増発で若干余剰気味となっていたが、瀬戸大橋線開業に伴う波動用車両の種車に選ばれ、「レインボー」として1988年3月17日付で改造された。改造後は四国内の他瀬戸大橋線を渡り本州に向かう団体・臨時列車等でも使用された。しかし1990年には振子特急2000系が新製投入されると老朽化した改造車では見劣りするようになり、また高松の急行型配置が無くなることから1990年11月21日付で高知へ転出した。高知では細々と波動輸送に使用される他、時には普通列車として使用されることもあった。しかし特殊内装で使いづらいことから1000型が高知へ配置されると真っ先に淘汰対象となり、1992年3月31日付で廃車となった。

外観的には、関西地区の特徴を多く残している。
前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、それに伴い正面窓下の手すりが撤去されている。タイフォンカバーはスリット状となっている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のテールライトとタイフォンの間に移設されている。尚四国では珍しく、「レインボー」改造後もデフロスタが残っていた。
側面では、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋が設けられている。また「レインボー」に改造された際、前位寄りの助手席側側面の窓が1枚埋められている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下では、後位側に、汚物処理タンクが設置されている。それ以外は概ね原形である。


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