キハ58 466



1963年8月27日富士重工製の5-2次車で、昭和38年度民有で松本運転区に新製配置された。同一ロット466〜468全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかし、1965年5月20日には中央東線全線電化が完成し、早くも大量のキハ58が余剰となってしまった。この際当車は美濃太田へ転出することになり、同ロットの兄弟共に1965年度中に移動した。美濃太田では高山本線の急行「のりくら」を中心に運用されたが、1973年の運用移管で名古屋へ転属した。名古屋では急行「のりくら」の他「きそ」「紀州」「かすが」等で広範囲で使用されたが非冷房のままであった。名古屋では最後まで非冷房で残ったグループであったが、「53-10改正」で長野から冷房キハ57が転入し、当車は玉突きで1978年9月18日付で小牛田へ転出した。小牛田では急行「千秋」「たざわ」等、東北本線北部の幹線急行や支線急行で使用されたが、「57-11改正」で仙台発着の急行が全廃され、当車はキハ55系の置き換え用に1982年11月20日付で郡山へ転出した。郡山では磐越東線・磐越西線・只見線の普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き同路線で使用された。1990年以降のキハ110系投入により余剰となり1991年3月16日に新庄へ転属し、更に1991年6月11日にはキハ110系化が予定されていた中込へ転出した。これは中込のキハ58の一部が今後の転属を見越して機関換装等の改造を行っており、その予備車を確保するためであった。しかし小海線の完全キハ110系化された際に余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。

前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。タイフォンはシャッター式となっている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。放送ジャンパは、ステップの下に設置されている。当車はJR化後列車無線アンテナが屋根上に設置されているが、中込転属後に小海線用の携帯式無線アンテナ挿し用の筒が、種別表示幕の横に設置されている。
側面では、客室乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。また当車は乗務員室ドアノブがモデルチェンジ車に準じた窪んだ形状のものになっている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下は、ほぼ原形である。小牛田・郡山時代には複線用スノープロウを取り付けていたが、中込転属後に撤去されている。


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